離島の長崎県壱岐での最近のALS関係の情報
クラウゼ江利子
壱岐市在住の辻健一さん。
妻と2人のお子さんと同居。
漁師だった辻さんは、2015年の冬に左手の握力に違和を感じ始め、
2016年54歳でALSと確定診断。
2018年1月、支援するNPO法人広域協会が準備してきた介護保険訪問介護の基準該当(非常勤ヘルパー3名で事業所になれる)を壱岐市に制度化してもらい、介護保険の身体介護のみでサービスに入り始めた。まだ口頭で意思疎通は取れていたが、先々を考え透明文字盤と口文字を練習開始する。このころ要介護度がまだ低く、ヘルパーは非常勤3人で足りていた。
2月に入り、障害福祉サービスの重度訪問介護を申請する。
先が読めない為、気管切開して人工呼吸器がついたら744時間すぐ利用できるような支給決定を壱岐市にして頂いた。
2月下旬、支給決定後に状態が急激に悪化し、緊急入院して、その後喉頭気管分離手術をして人工呼吸器を装着した。準備していて本当に良かったと思う。
長い入院となってしまったが、ヘルパーの院内付き添い(同年4月から国の制度改正で院内で重度訪問介護を利用できるようになった)を経て6月初旬に無事退院。
退院後はヘルパー2人増やし、744時間の常勤5人体制となる。
(壱岐から当初入院先の福岡の病院までヘルパーが通って毎日深夜以外つきそい、島の病院に転院後はほぼ24時間付き添い。この間、ヘルパーの勤務時間は全員非常勤から常勤になった)
退院後は積極的にコミュニケーションツールを取り入れ、外との繋がりを増やし、情報を取り入れるようにしてきた。 ヘルパーとの意思疎通は口文字。
意思伝達装置はMiyasuku.
在宅の体制が軌道に乗ってきた2018年11月、あこがれの中野玄三さん宅にヘルパー研修も兼ねて1泊2日で出かけた。そこでヒントを得、壱岐に戻りヘルパーさんたちと食事方法を工夫することになる。移乗もあり2人体制が必要な為、朝夕の食事で重度訪問介護を1時間ずつ増やす必要があった。技術的な事から生きる姿勢まで多くを学んだ訪問となった。
写真左から辻さんの奥さん、辻さん、中野玄三氏、うしろは辻さんの専属ヘルパー5人
中野玄三氏:1994年(平成6年)にALSを発病。ALS歴24年、生活目的の呼吸器をつけて、
ALSの四大ストレス「動けない、喋れない、食べれない、息が出来ない」を解消し家族と笑顔で暮らし、食べ方の新境地を開拓しました。ALSを乗り越える過程で次から次へと常識を覆して行く、それが話題になり現在も全国各地から訪問者が途切れない。現在は 再び会社を立ち上げて その経営にあたっています。
壱岐島の通院帰りの寄り道
辻さんとOTのM氏とヘルパーのKさん
車椅子はZeusを補装具で申請し給付。荷台があって呼吸器や吸引機なども搭載できる。
2018年11月、Zeus試乗の様子。
2019年9月には 対馬でALS協会長崎県支部ALSの集いが行われ、2泊3日で出向きました。
2020年2月には、島内で保健所主催の難病従事者研修会が行われ、
『意思決定について』お話して欲しいと辻さんに依頼が来ました。
意思伝達ソフトはMiyasuku, 車いすはZeus, 持続吸引機のアモレも常備し、とても外出しやすくなった。
ひといきスタッフも万全の体制でのぞみました。