24時間の公的介護保障を受けて
黒部市 大懸誠
1.ALSを発症して
2011年秋ごろから腕が上がりづらいなどの身体の異変が始まり、上半身を中心に筋力が衰えていき、2012年8月に運動ニューロン病の診断を受けました。他の治療可能な病気の可能性に望みを託して、その年の9月に東京の大学病院でセカンドオピニオンを求めましたがALSと診断されました。
その後も進行は速く、自力歩行が難しくなりつつあった2013年4月に気管切開をして人工呼吸器を装着するようになりました。
さらに2014年6月には胃ろうを造設しています。今は顔や手足の数本の指以外はほとんど動かすことができません。気管切開後は何ヶ月も話すことができなくなったのですが、在宅訪問ドクターの提案でカニューレのカフエアーを通常よりも少なくしてあえて空気を気道にリークさせることで声を出せるようになり現在に至っています。
2.24時間公的介護が保障される前
気管切開手術後に退院した2013年8月から本格的な在宅生活が始まりましたが、多くの方々の支援を受けつつもその実態は危ういものでした。
私の家族は両親と妹ですが、両親ともに高齢で、父は心臓をわずらっており無理の出来ない身体です。夜間のコールには主に父が対応していたため充分に休めない慢性疲労の状態が続いていました。また母は腰痛のほかに股関節や泌尿器に複数の病気をかかえており、自分の体を支えて歩くのがやっとで物を持ち上げることが出来ず、人の介護をやれる体ではありませんでした。そして妹は生まれつき体が弱く骨に関する病気を患っています。
両親と妹は、私の介護をしてくれていましたが、いずれも健康上の問題を抱えていました。
公的介護が保障される前は家族による介護が限界を超え、そして頼れるマンパワーが先細りであることに不安を覚える毎日でした。いずれは残る人生が病院や施設暮らしになるであろうことを思うと目の前が暗くなるばかりでした。
既存の事業所からのヘルパー派遣には限りがあり深夜対応してくれるところはなかったため、その他の時間は家族に頼ることになりますが、高齢の両親や体の弱い妹に多くを求めることはできず、してほしいことがあっても遠慮や我慢をすることがよくありました。
また夜間父親がいないときなど体位が崩れて苦しい状態になった時にコールを押しても母親が極度の疲労で寝入ってしまい来てもらえないことがよくありました。まだ自動痰吸引器を導入するまえだったため、そういうときは一人しかいない部屋で痰がからんで呼吸困難になったらどうしようという恐怖を抑えるのに懸命になっていました。さらに体位がずれてコール自体を押せなくなって体の痛みをこらえながらじっと朝が来るのを待ったことも一度や二度ではありませんでした。
3.全国広域協会ほか全国団体の支援を受けて
2014年に入って24時間の公的介護についてケアマネや市役所など周囲に相談するようになりましたが、対応できる事業所がないことを理由に反応はいずれも否定的なものでした。そんなとき、今から思えば実に幸運なことに2014年の年末にたまたまレスパイト入院していた独立行政法人国立病院機構新潟病院の中島副院長(現在院長)のご紹介で全国ホームヘルパー広域自薦登録協会(以下全国広域協会)及びさくら会とつながり、公的介護保障を得るために行政と交渉するにあたっての支援を受けはじめました。
全国広域協会とさくら会からは、随時的確なアドバイスをいただくことができ、ネックとなっていた障害サービスの計画づくりについても近県の相談支援事業所を紹介していただくことで交渉が大きく前進しました。サービス等利用計画案においては、家族は健康上の問題などがあって十分な介助ができないこと、私自身が公的介護で自立したいと考えており家族には家族の生活を送ってほしいという意向を行政側に伝えるようにしました。また交渉の終盤となる2015年7月には全国広域協会とさくら会のご紹介により「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」の地元弁護団の皆様も支援の和に加わってくださいました。
それまで市役所との交渉については周りの家族も交渉にはなかなかついていけず、交渉内容を家族に理解してもらうのに私自身疲れきってしまって、現場では自分ひとりで交渉しているような孤独とつらさにさいなまれていました。
弁護団に入っていただいてからはその孤独感から解放されて大きな味方を得たような頼もしい気持ちになりました。弁護団の先生には交渉の正面に立っていただくことで提出書類にも説得力が伴われたのだと思います。
このように全国広域協会ほか全国団体のお力添えをいただけたのは全く運がよかったのだと思っています。
4.24時間の支給決定を受けて
2015年9月に重度訪問介護630時間/月、居宅介護252時間/月、合計882時間/月の支給決定を受けました。このことにより24時間の公的介護が保障されたことで、認められたなかでこれから必要なだけヘルパーさんを増やしていいという心に大きな安心を得ることができました。
支給決定とほぼ同時にヘルパーの求人募集を始めて、幸いにも応募もあって少しずつ夜間の時間帯からヘルパーに入ってもらえるようになってきました。おかげで夜間も同じ部屋で見守りしてもらえるので安心して就寝できますし、随時の体勢の変更や温度調整そして痒みの処置にもすぐに対応してもらえます。家族も夜はぐっすり眠れると言っています。
また父親が腰の痛いのを無理してやっていたゴミ出しもヘルパーさんに頼めるようになりました。そしてヘルパーさんに痰吸引の技術を習得してもらうことで、妹がほぼ一人でずっとやってきた痰吸引も肩代わりしてもらえるようになりました。
こうして公的介護が保障されてから私も家族も心に余裕が生まれましたし確実に家族の負担が軽減されています。
5.現在の生活と今後
支給決定当初は、採用したヘルパーを既存の事業所に登録して介護に入ってもらっていましたが、人数が増えてきたことであらたに全国広域協会が富山県に24時間対応の訪問介護事業所を置くことになり、2016年2月に私の自宅に事業所が設置されました。
現在(2017年6月)は、常勤4名、非常勤1名の計5名を自薦ヘルパーとして採用していて、従来の他事業所も含めると24時間埋まっている状況です。24時間の公的介護を受けることにより在宅で生活する全身が動かないALS患者としてはおおむね不自由なく生活できていると思います。普段は食事など生活のほとんどをベッド上ですごしているものの、視線入力装置を使って日常的にパソコン操作もしています。右足の指でピエゾスイッチを使ってパソコンの視線入力の決定動作を行い、手の指でタッチセンサースイッチを使って同じくパソコンをワンキーマウス経由で操作したり呼び出しコールを鳴らしたりしています。作業スピードはともかくとしてほとんどのWindows操作が可能です。またお風呂は訪問入浴を利用し散髪も床屋さんが訪問してくれますし、ときどき屋内で車椅子に移乗したり、月に数回私用やALS協会の行事等で福祉車両を使って外出しています。
日常生活写真
自宅でパソコン作業
自宅でパソコン作業2
主に右足のピエゾスイッチで パソコン操作
リフターを使って車椅子移乗
車椅子移乗しての訪問リハビリ
自宅で床屋さんに訪問してもらい散髪
ベッド上で食事介助を受ける
ベッド上で食事介助を受ける2
水分摂取(ストローにて)
外出写真
福祉車両に乗車
福祉車両に乗車2
福祉車両に乗車3
地元の牧場へ外出
地元の牧場へ外出2
地元の牧場へ外出3
水族館へ外出
水族館へ外出2
地元のチューリップ
2017年3月には寝たきりの状態になって初めて新幹線に乗って東京へ行くことができました。自薦ヘルパー3名の同行です。新幹線や都内の各路線の乗り降りには駅員さんがスロープを持って対応してくれましたし、各駅の連絡調整もぬかりなく駅員さんも皆さん大変親切で乗り換えもスムーズにできました。また現地ではさくら会の安達さんのエスコートにより迷うことなく目的地に到着。今回の私にとって記念すべき東京行きで、八王子市のヒューマンケア協会と日本ALS協会の岡部会長を訪問することができました。また光栄にも都内の電車移動を岡部さんとご一緒しています。
そして続く2017年4月にも自薦ヘルパー3名の同行で再度東京を訪れ、ポール・マッカートニー東京ドーム公演に行ってまいりました。この病気になる前には実現できなかった夢がひとつかなったことになります。今回も現地ではさくら会の安達さんにエスコートしていただき、安全で安心な行程となるようバックアップしてくださいました。コンサート翌日にはさくら会の研修所を訪問させていただき、橋本操さん、川口さんにお会いしました。今回も無事に行って来れたのは、自薦ヘルパーの皆さんそして全国広域協会とさくら会のご支援によるものです。
東京へ写真
新幹線で東京へ
岡部さん宅にて安達さん、ナッツと
岡部さんと街を移動
岡部さん宅近くでのツーショット写真
岡部さんと都内の電車移動
東京ドームのコンサート会場へ
ポール・マッカートニーのコンサートの後、興奮冷めやらず
さくら会研修センターを訪問
東京都庁展望台にて
京王プラザホテルにて安達さんと
京王プラザホテルにて同行ヘルパーと
現在まで徐々にヘルパーが増えて介護チームが安定しつつあり、今後も在宅で当たり前の生活を作っていきたいと思います。
家では随時ヘルパーの力を借りて必要なことができ、随時車椅子移乗ができて、外出したいときにヘルパー同行で出かけることができる、そんな生活が理想ではあります。見守りも含めた長時間の介護サービスを受けることで、大きく家族に頼ることなく自立して在宅生活を続けたいと考えています。
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