中部地方のX市で知的障害者が実質24時間介護保障
大都市圏以外で初
中部地方で1人暮らしする知的障害者のヘルパー制度交渉で、粘り強い交渉の結果、2006年10月から、毎日20時間保障が実現しました。身体介護が8時間含まれているので、重度訪問介護単価で計算すると24時間と同単価で、事実上の24時間介護保障といえます。
X市では9月までは全身性障害者も最高14時間程度の制度が上限でしたが、10月の制度改正(単価低下で赤字になる事業所が24時間介護をつけてくれていたのができなくなった)にあわせ、全身性障害者の24時間介護保障の交渉も同時進行で行われていました。うまく交渉のタイミングが合ったため、全身性障害者も知的障害者も同時に市の理事者の決済を取れ、実質24時間保障が実現しました。
詳しい交渉経過等を交渉した団体に書いていただきました。
自立支援法が本格的に施行された10月、自立生活を行う知的障がい当事者Iさん(中部地方のX市在住・女性26歳・知的障がい・療育手帳A)に644時間/月の居宅介護、移動支援の支給決定がありました
Iさんは平成17年10月より家族の事情にて一人暮らしを始められました。 自立生活開始から平成18年9月までは458時間/月の居宅介護時間を、身体障がい者団体のヘルパー派遣事業所から介助派遣を受けて生活をしてきました。
制度が大きく変わる中、8月の区分認定シュミレーションでは区分2、医師の意見書で区分3、支給量は今の半分になるのではないかとの事業所の予想でした。
Iさんの自立生活は、1日14時間は制度を利用し、不足分10時間は派遣事業所が持ち出す形で行われ、24時間の介助者を確保しながら一年を過ごしました。
10月から制度が変わる中、事業所より支給量が確保出来なければ、介助派遣を行う事は厳しく、不足分は自費を請求する事になると話がありました。
X市には知的障がい当事者が、2名自立生活をしていました。
Iさんより半年前に自立生活を開始したAさんについては、自立当初から支給量確保が厳しく(交渉を行わなかった為)自費を15万円事業所に払う中での自立生活でした。
もちろん行政側も自費利用している事は知っていました。
私たちはX市で初めての知的障がい当事者の自立生活においてX市に「24時間の支給量が無くてもなんとかなる」という不本意な実績を作ってしまう結果となりました。
そして「自費を支払わなければ、24時間の自立生活ができないなんておかしい」と考え、そんな実績をもうこれ以上作る訳にはいかないと強く決心しました。
そのような経緯により「Iさんの地域での24時間自立生活を守る為には、時間数を確保するしかない」と追い込まれ、行政との交渉に入りました。
でも、どうすれば時間数を確保出来るのか悩み考える中、知的障がい当事者の地域生活支援をされている他団体や、当事者の方々より心強い励ましを受ける事ができました。
そのおかげで「どんな状況になっても支援し続ける覚悟が必要」、「AさんやIさんの2年に及ぶ自立生活を無駄にしてはいけない」、「これから先、自立生活していく知的障がいのある仲間の為に繋げていかなければいけない」と更に覚悟を決めたのでした。
そして励ましを下さった団体のお力を借り、行政との交渉をスタートしました。そのような中で、交渉や制度のことは詳しく分からないが、「出来る事は何でもやろう」、「もし万が一支給量が今すぐ確保出来なくても、私たちは何が何でもIさんの地域生活支援を続けよう」と言う強い志がある若いメンバーが加わり、更に遠方より片道2時間もかけX市へ駆けつけてくれる、もうひとりの若いメンバーも加わりました。
このように、なんとしてでもIさんの支援を続けると言う彼女達2人のメンバーに支えられながら、9月末よりX市役所福祉課通いが始まりました。
★ 交渉について。
(1)24時間の支給量がなければ介助派遣を行ってくれる事業所がない事
(2)この一年のIさんの地域生活の様子
(3)これからのIさんの地域生活について
この三点に絞り話し合いを行いました。
(1)交渉経過
・9月22日(交渉初日)
要望:Iさんの24時間の必要性について課長に確認。
回答:課長より「資料、報告書等により時間数が必要なことは分かるが、市に事情もあり、24時間の支給はむずかしい。
要望:もし24時間支給されない場合は10月からヘルパー派遣を行ってくれる事業所がない。(2時間ほど同じ話の繰り返し)
とにかく、一日でも早く支給決定をお願いしたい。
・ 翌日から支給決定まで毎日福祉課へ通う
・9月27日(支給決定)
福祉課にて長時間待ち担当者に会う。
担当者より 「時間数は現状維持で485時間、これ以上は無理です。」
・9月28日(要望書提出)
要望:458時間の支給量で24時間ヘルパーを派遣してくれる事業所を紹介して欲しい。(市内の事業所一覧を見せ、各事業所に問い合わせをし、ヘルパー派遣をしてくれる事業所を探したが、無かったのでこの一覧以外で紹介してほしい。)
回答:無言
要望:10月まであと2日。Iさんの地域生活継続の為にはどうしても、24時間の支給量か、もしくは基準該当事業所を認めて頂きたいと要望書を提出した。
基準該当事業所であれば、知的当事者が望む生活により近づく可能性があり、指定派遣事業所を増やしても、ただ介助派遣を行う事業所が増えるだけの事でしかなく、知的当事者の支援は、単なる介助派遣のみでは地域生活が成り立たない事。
・9月29日(基準該当事業所についての回答)
回答:X市では、基準該当事業所の要項がない為、要項から作るには時間が必要なのでしばらく検討する時間が欲しい。
要望:これらに対して私たちは今後も話し合いを継続していきたい。
・10月2日(事業所の紹介を再びお願いする)
要望:事業所の紹介を再びお願いするが話しが進まない。 Iさんの1年間の地域生活の様子について資料を提出する。 (このころ自薦登録の利用を検討)
・10月3日〜10月中旬
以後福祉課とは、毎日のように時間数確保と受け皿になる事業所について話をしてきましたが、話は聞いてくれるものの、時間数についての具体的な話はありませんでした。それから2週間程、Iさんの地域生活の様子やIさんの今後についても話し合いをしましたが、やはり時間数についての話はありませんでした。
・自薦登録先へ相談
また一方では、Iさんの地域生活を継続していく為の方法について、自薦登録先団体に相談し、自薦登録ヘルパーを利用する方向も考える事にしました。
・10月末日
X市との話し合いの進展もないまま苦闘を強いられ、地域生活支援事業移動支援での時間数の確保に切り替えていく事を考え、資料作りを始めました。
・再審査会の連絡
そこへ突然、担当者より連絡が入り「今まで制度利用ができなかった22時以降の部分について、再度審査会にかけます。資料は今までの物でよいでしょうか?」という事でした。
(編注:同じ市で同様に24時間交渉を行っていた全身性障害者の2ヶ月に渡る交渉により、課としてのヘルパー制度の上限撤廃がこの直前に決まった)
・審査会までの数日
福祉課に出向き24時間の必要性について再度話し合い、支給決定について確認を取り、支給決定は審査会終了後必ずすると約束を取りました。
・審査会終了後
電話を頂くが、「まだ結論が出ず、話し合いが続くので、今日は決定できませんでした。」という事でした。
・翌日
審査会の内容を聞きに福祉課へ行きましたが、「まだ部長、課長とも話し合いができていません」とのお返事でしたので、「24時間の支給決定が無いと、11月より今までのように地域生活ができず、命をつなぐこともできない。」と強く訴え、明日も伺いますと福祉課を後にしました。
・翌々日
「今日は何がなんでも支給決定を頂いて帰る!」と決め、朝から福祉課の前で待機していました。ところが、「部長が居ないので、話ができません。」と担当者より言われ、「戻られるまで待たせて頂きます。」と、待つこと7時間余りでした。
・支給決定
やっと「支給決定を行ないます。」と言われて、課長、主任、担当者、支援者と4名で、支給決定について話し合い、課長より審査会での報告を受けました。
審査会での報告は驚く事ばかりでした。思い出すだけでも気分が悪くなる為、一部省略します。
主な内容は、「24時間は出せないが、20時間なら今支給決定できます。」
「どうしても、24時間必要と言われるなら、課内で再度話し合いが必要になります。」
「今の一日14時間に、身体6時間でお願いしたい。」
「X市の予算的な事から、20時間しか出せないのです。」
しばらく無言がつづきました。
私たちも11月より、Iさんの活動場所の立ち上げも有り、これ以上交渉に時間をかけられないと考えました。また福祉課にこれ以上支給決定を延ばされてはIさんの生活に支障を来たす事になってしまいますので、「20時間で結構です。」と答えました。
こうして、1ヶ月あまり続いた交渉の結果、644時間の支給決定となりました。
★今回の交渉での主なポイント
支援者にとって
@知的当事者の地域生活を長年支援されている団体より、毎日のようにアドバイスを受ける事が出来、交渉に望めた事が大きな力となった。
行政に対して
A支援者の地域での立場を充分に伝えられた事。
B今後、支援者がIさんと地域をどのように繋げていくかを具体的に話ができた事。
CIさんの自立生活が、地域の方々に受け入れられ、知的当事者と地域との相互理解が深まった事を行政に理解して頂けた事。
D知的当事者の自立生活は、介助者とIさんとの関係作りができてから、地域へ繋げて行くことが重要である事。等です。
今回の制度交渉を通して、私たち支援者は知的当事者への支援では、確保した時間数を、Iさんの地域生活にどう繋げて行くかが重要だと再認識しました。
・日中活動拠点の確保
11月には私たちは活動拠点を持ち、介助者という枠を超え支援者となり、自薦登録を受け入れる団体(全国広域協会)の自薦登録ヘルパー制度を利用しながら、全員でIさんの地域生活を支援し、Iさんの生活保障をしていきます。
まだまだ、知的当事者が自己選択出来るだけの選択肢が無い今、選択しを増やし、自己決定が出来る体制や環境を創り、さらに共に活動する事により支援者の意識を高めていきます。それでもなお多くの課題があります。
これからは、このような課題への取り組みを、全国の知的当事者支援をしている方々と共に考えていきたいと思います。時間数確保だけが目的ではなく、すべてはここから始まるのです。
(2)この一年のIさんの地域生活の様子
Iさんは、重度仮死で出生され脳障害による知的障がいのある方です。
障がいのある子と「共にどう生きるか」と考え苦悶されたご両親の元、「地域で当たり前に暮らしたい」と普通保育園に入園され、さらに小学校は地域の普通学級へ通われました。
小学校高学年の時いじめられ、以来不登校になり、中学は地域の特殊学級に席を置きました。不登校以来ご家族だけとの生活が長く続いたため、他人とコミュニケーションを取る事がかなり困難でした。読み書きのできない彼女にとっては絵を描くことや、言葉以外の表現がとても重要でした。
・支援費制度利用
そんな中、支援費制度が導入されヘルパー派遣事業所より週3回の介助派遣を受ける事になりました。
最初はヘルパーと関係が作れず、ほとんど話もできませんでした。彼女も知らない人が何人も来るのでいつも不機嫌でしたし、それにヘルパーの顔と名前が一致できず、次は誰が来るのか?と絶えず不安でいっぱいでした。
それでも一年の間に、少しずつヘルパーと関係が作れるようになってきました。
・地域での自立生活
それから、ご家族の事情で、地域で自立生活を始めるのですが、最初はアパートの部屋が怖くて、不安で言葉もでませんでした。そして、とても感情の起伏が高く、ごはんも食べられず、夜になっても眠る事さえ出来ませんでした。また、しばらくは外出もできませんでした。
介助者は、そんな彼女の不安な気持ちに絶えず寄り添う事から始めました。
何よりも、彼女が自分の部屋に安心して居られる事、ヘルパーが一緒に居るから一人ぼっちでは無い事等をいろいろな場面でいろいろな表現で伝える努力をしました。
それから、Iさんが少し落ち着かれ、少しずつ日常生活ができるようになると、Iさんの自立生活における介助方法が、介助者によりまちまちであったため、敏感なIさんはストレスを感じパニックを起こす事が多くなってしまいました。
当時介助には一日3交代で週に10人ほどが入っていました。
知的当事者における、家事援助とは何なのか?この時ほど真剣に考えた事はありませんでした。毎日、「朝 お洗濯をしないと乾かないから洗濯しましょう」「洗濯ものはこうやって干すのが一番いいですよ」「次はお掃除ですよ!」とまるでハウスキーパーのように家事仕事を教えてしまったのでした。
私たち介助者はいろいろ話し合いをし、知的障がい者の支援とは目に見える支援だけでは無く、目に見えない支援こそが大切であると再認識したのでした。
目に見える身体支援や家事援助などは、介助者の意識を高めたり、介助方法の工夫一つでどうにでもなるからです。
大切なのは当事者の気持ちを支え、いかにIさんに受け入れてもらい、相互に信頼関係を作れるかという事なのです。
私たちはIさんの介助を通して、知的障がいがあっても「Iさんは一人の人間である」という事を、体を通して感じる事ができ、地域で暮らす事の大きな意味を理解する事ができました。
Iさんも介助者もコミュニケーションの方法を、写真や手作りカードで工夫し、外出ができるようになると、行政からは昼間は作業所へ行くようにと言われるようになりました。なんとかバスに乗り作業所へパンを買いに行くのですが、なかなか中に入れず、立ち止まってしまうばかりで、作業所へ通うことは困難でした。
・共に働く
そんな中、地域で高齢者や障がいのある方にお弁当を宅配している、ボランティア団体と出会い、週一回お弁当作りのお手伝いを始めました。これが、Iさんにとって始めての仕事なのですが、とても気に入られたようです。ご自分で作ったお弁当を、祖父母宅へ届け、大好きな祖父母に「美味しいね!」と喜んでもらえる事がIさんの励みであり、喜びとなりました。Iさんが利用しているヘルパー派遣事業所にもお弁当をお届けし、喜んで頂いています。
地域で生活していたからこそ出会えた方たちでした。
ボランティア団体の方たちも自然にIさんと接して下さり、少しずつ相互理解が深まっていきました。お仕事をする事で生活に張りができ、Iさんにも自信がついたように思いました。
社会の中で知的障がいのある人とない人が、共に働く事の重要さを強く感じ、当事者支援だけでは本当の自立生活支援とはいえないと思いました。そして地域へ移行していく為に、地域に開かれた日中活動場所を持つ決意をしたのです。
(3)これからのIさんの地域生活について
IさんAさんの地域生活支援を通して、多くの方々との出会いがあり、励ましや応援をたくさん頂き感謝しています。
その反面、「知的当事者は、ほんとうに独り暮らしを望んでいるのか?」(知的当事者の中にもいろいろな方がいるのです、言葉を持たない方や言葉は持つがその言葉の意味が解らず、言葉で気持ちを表現できない方、体で感じていてもどう伝えたら良いのか解らない方等)
「本人は家族と暮らしたいのじゃないのか?」
「本当に自立支援が必要なのか?」
「当事者が自立したいと表現したのか?」
などと言われる方もたくさんいました。
家族と離れるきっかけはどうであれ、必ずいつか家族と離れて暮らさねばならない日が来るのです。
突然、住み慣れた地域や親しかった友人と別れ、見知らぬ土地で見知らぬ人々と暮らさねばならない事は、障がいの無い私たちにとっても悲しいことです。初めて会う方々との意志の伝達が困難な知的当事者にとってはなおさらです。
不安や緊張で食べる事もできず、眠る事もできない事は、あまりにも悲惨なことですし、生きていく力さえも奪うことにも成りかねません。
言葉を持たない彼女たちも「生まれ育った街で暮らしたい」そう願っているはずです。彼女たち自身が地域生活を望んでいるかどうかは、彼女たちに受け入れてもらい初めて、彼女たちが何を望んでいるのか?が分かるのだと思います。コミュニケーションに困難さを持つ彼女たちですが、言葉ではない表現方法をたくさん持っています。決して支援者側の思い込み等ではないのです。
彼女たちの生活の中には、地域生活を楽しまれていると分かる瞬間がたくさんあります。そんな時私たちも、「自立支援をし続けてきて良かった」嬉しく思うのです。
だからこそ、「彼女たちは私たちと同じように当たり前に地域で暮らす事を望まれているんだ!」と確信を持って多くの人に伝え続けていけるのです。
・日中活動場所について
知的当事者にとっての地域での自立生活支援は、当事者が自分の望む生活を選択できるだけの支給量を確保するところから始まりますが、当事者への介護派遣をする介護派遣事業所や日中活動場所、生活の場、相談支援センター等が、個々に動いているだけでは駄目なのです。特に当事者支援からの地域移行に関しては、それぞれが必要な連携を取りながら、市民を巻き込み共に創っていく事が大事なのです。
Iさんの今後の自立支援は、生活の場ももちろんですが、地域の中に11月に確保した地域に開かれたお店での、ボランティア団体さんや仲間との協働によるお弁当作りや仲間作り、表現活動などが中心になります。
そして私たちは、地域の中に自立生活に必要な機能を持つ場を、必要に応じて連携していける仕組みを創らなければならないと思っています。
その為には市民の皆さまやボランティア団体、また同じ思いを持つ他団体の方々と相互に協力していきたいと思います そして今後、自立生活を望む知的当事者へと繋げていくつもりです。
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